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2014年3月19日水曜日

01. 筒井 潤 「反復のダンス・反復しないドラマ」

『RE/PLAY(DANCE Edit.)』を、2012年に京都で観て、2014年には横浜でも観た。主たるコンセプトは反復。反復は反復ゆえに変化が生じないのが本来だが、生身の体なのでそういうわけにはいかない。時が経てば必然的に様々な変化が表れる。それを鑑賞していると云々…、といったようなことはどちらか片方を観ただけでもわかるので、他の方に委ねたい。私は京都と横浜の両方を観たからこそ持ち得た興味をここに記しておく。

京都公演と横浜公演のダンサーは、コンセプトに対してのアプローチがかなり異なっていた。横浜で参加していたダンサーは反復行為に忠実だった。彼らは可能な限り純粋な反復の時間を鑑賞者と共有することに努めていた。その反復による意図的な退屈さや徐々に疲労が露になっていくダンサーの存在によって可能とする、ドラマの萌芽の瞬間を捉えようとする意思が鑑賞者の心の中で稼動するのを、彼らは踊りながらもじっと待っているように見えた。一方で、京都で踊っていたダンサーからは、反復行為を見せるのではなく、最初から疲労するために反復し、その疲労から見える個々のドラマを惜しげもなくどんどん提供しようとする意図を私は感じた。ダンサーの身体は激しいダンスによって立ち上がることもままならないほどに実際に疲れていたが、ダンサーはそうなることが華々しいエンディングであるドラマに出演し、演技する俳優のようだった。

以上のような表現者の差異は、観る側の反応にも表れた。横浜の鑑賞者は、感情の変化はそれぞれにあるのだろうが、舞台上の小さな変化を見落とすまいと静かに見つめ続ける態度を崩さないのに対し、京都の鑑賞者は大いに笑い、歓声を上げ、上演中にもかかわらず盛大な拍手をダンサーに送った。

どちらのダンサーも同じコンセプトを示されてからリハーサルをスタートし、そして本番に臨んだはずである。もちろん創作過程において多田淳之介が参加ダンサーの返してくるものを受けて熟考し、演出を施して上演に至ったわけであろうが、こんなにふたつの上演が異なる印象のものとなったのは、やはりそこに関わったダンサーの考え方の違いが強く反映したからであろう。私は、もしかするとそういった違いを浮き上がらせるために反復というコンセプトを彼は用いたのかもしれないと思った。


                  筒井 潤[演出家・劇作家/dracom リーダー]

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